徒然技術日記

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STAP記者会見の最後で相澤チームリーダーが言いたかったこと

今日10:30から行われていた「理化学研究所 STAP現象の検証結果に関する記者会見 生中継」をニコ生で見ていた。

一般紙の記者は、誤解を恐れずに言うと「一般人的」あるいは「文系」的な質問をするのに対し、相澤チームリーダーや丹羽副チームリーダーはあくまで科学者として科学の発想で以って回答をしていたので、話が若干噛み合っていないのが辛そうだった。

どちらにとっても互いに互いの話の筋が通っていないように思えるという疲労度の高い記者会見だったのではないかと思う。

記者会見の終了が宣言されたのち、一旦会場を去りかけた相澤チームリーダーが戻ってきて、印象的な発言をしていた。その内容とは、以下に書き起こしてみると、大体以下のようなものであった:

(今回の)検証実験、特に小保方さんの検証実験を、このようにモニターをおいたり立会人をおいたりして行うというのは科学のやり方ではないと思っている。
科学のことは科学のやり方で処理しなければいけないので、そういうふうな検証実験をしてしまったことに対して、検証実験の責任者としてものすごい責任を感じている。
今後なにかあるたびにこのように犯罪人のような扱いをしたうえで科学の行為を検証するということは、科学にあってはならないことだと思っている。
このことに関しては、検証実験責任者として、深くお詫びを申し上げると共に、責任を痛感している。

(上記ニコ生 2:13:10 付近より)

このことに関して、ニコ生のコメントでは理解できないと言ったようなコメントも複数見受けられたが、これは上の考え方が科学界特有の考え方だからであろう。そのことについて自分なりの解釈を書いてみたいと思う。(書いていてなんだか社説みたいになってしまった…)

科学において「正しい」とはなにか?

(論文の正しさの度合い)

[正しくない]|||||||||||||||||||||[中立]|||||||||||||||||||||[正しい]

科学では、論文を発表した段階では基本的に「中立」として扱われる。つまり、正しいとも正しくないとも言えない、ということである。

ただ、一般的に完全に「中立」から始まるというとそうではなく、若干「正しい」よりになることも多い。なぜならば、

  • 丹羽副チームリーダーも話していたように科学が基本的に性善説で成り立っている
  • 一定水準以上の査読付き論文誌に掲載された論文ならば、それなりに信憑性があるものと考えられる

からだ。つまり、初めから信頼度の高い方法で発表された論文は、正しさの尺度の中で、スタートが「正しい」寄りになるということである。STAP細胞の場合には、権威ある Nature 誌に掲載されたことで、だいぶ「正しい」度合いが高い状態で発表されたと言える。

そののち、世界各地の研究者が追試、すなわち再現実験を行ってみて、複数回成功すれば論文の内容が正しい可能性が非常に高くなる(「定説」になる)し、失敗報告が相次げば「正しくない」として、研究内容は信頼を失うことになるし、場合によっては研究者自身の信頼性も揺らぐかもしれない。

すなわち、再現実験がどれだけ成功したかで論文の信頼性、信憑性が判断されるし、逆にそれ以外では判断されないものなのである(捏造の場合にも再現性がないことから信頼性がなくなると考えられる)。

(このあたりの話は「99.9%は仮説」にある「グレースケールの尺度」の話がわかりやすい)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

今回の検証実験は必要なかった

相澤リーダーはそこまで踏み込まなかったが、相澤リーダーは今回のような検証実験を行う必要はなかった、行うべきではなかったと考えているのではないか、と個人的には推測している。

STAP細胞の論文は、論文発表後に世界中の研究者が再現できなかった時点で、その信頼性は全くなくなっている。つまり、科学界においては、本検証実験を始める前の段階ですでに、論文に書かれた方法で作成でき、かつ論文に書かれたような性質を示すような「STAP細胞」は存在しない、ということは誰の目にも明らかであった。

相澤リーダーが言っていることは、そのように科学界では「STAP細胞」が存在しないことは明らかであるのに、監視下で「再現実験」なるものを行うのは、単なる見せしめ、世論を満足させるためのショーであって、科学でも何でもないということなのだろう。

たしかに、多額の税金を投入し、あたかも再生医療における革新的発見であるかのように大々的に宣伝したことに対する罪滅ぼし、禊のような役割として本検証実験は必要であったかもしれない。しかし、相澤リーダーは一科学者として、このような科学に反する実験を行ったことに対して、科学界へ一言謝罪を言わずにはいられなかったのだと思う。

科学の世界は俗世から離れている

このような考え方は、部下が問題を起こしたら上司が責任を取って辞めるといった考えとは真っ向から反するものである。つまり、一般社会と科学界では発想、考え方が全く違うのである。マスコミは一般社会の考え方で記事を書き、科学者は科学界の考え方で発言をする。

STAP細胞はあるのかないのか?」という質問に対して歯切れが悪い科学者に苛つくのと同様、本発言もなかなか理解しにくいものかもしれない(「捨て台詞」といった解釈をしたコメントもあった)。

しかし、「発想が違う」から「その考え方は正しい」のか?というとこれもまた難しい問題であり、必ずしもそうとは言えないだろう。互いに相互理解をするためには歩み寄りが必要だが、科学界は専門用語が飛び交う場でもあるのでなかなか溝は埋まりにくいと思う。

捏造の科学者 STAP細胞事件

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